麟祥院はご宗家の東京の菩提寺です。また春日局と三條西家はつながりがあります。
春日局(本名「お福」)は、明智光秀の家臣であった父・斎藤利三の死後、三條西家に侍女として仕え、そこで教養を身につけました。後に備後稲葉正成の妻となり、その後の戦で正成の活躍もあり、結果的に家臣団の再興と自身の立身の道を開きました。
三條西家での修行は春日局(お福)は、父の死後、母に連れられて京に戻りました。
父の友人である海北友松の紹介で、三條西家に侍女として仕えました。
この三條西家での3年間で、礼儀作法、茶の湯、香道、手習い、和歌など、女性としての教養を身につけました。
三條西家が春日局の人生に与えた影響は三條西家で身につけた教養は、後の春日局の人生を大きく支える基盤となりました。
侍女としての経験を通じて、武士の社会における礼儀や作法を学び、それが夫である稲葉正成が天下分け目の関ヶ原の戦いで活躍する際や、春日局が後に徳川家光の乳母として活躍する上でも、重要な役割を果たしたと考えられます。


